その境は、ベテホグラの北のわきに進み、ヨルダンの南端で、塩の海の北の入海に至って尽きる。これが南の境である。
その南の境は、塩の海の南の端の、入海から起り、
これら五人の王はみな同盟してシデムの谷、すなわち塩の海に向かって行った。
主はエジプトの海の舌をからし、 川の上に手を振って熱い風を吹かせ、 その川を打って七つの川となし、 くつをぬらさないで渡らせられる。
東の方ではアラバをキンネレテの湖まで占め、またアラバの海すなわち塩の海の東におよび、ベテエシモテの道を経て、南はピスガの山のふもとに達した。
上から流れくだる水はとどまって、はるか遠くのザレタンのかたわらにある町アダムのあたりで、うず高く立ち、アラバの海すなわち塩の海の方に流れくだる水は全くせきとめられたので、民はエリコに向かって渡った。
またヨルダンを境として、キンネレテからアラバの海すなわち塩の海まで、アラバをこれに与えて、東の方ピスガのふもとに達せしめた。
南の方はエドムに接するチンの荒野に始まり、南の境は、東は塩の海の端に始まる。
これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。
ベテアラバのわきを北に進んで、アラバに下り、
ヨルダンは東の方の境となっていた。これがベニヤミンの子孫の、その家族にしたがって獲た嗣業の四方の境である。